・土製耳飾
縄文時代晩期、3000年前。
縄文の人々は、上の写真の壁のパネルの女性のように、土製耳飾を、耳たぶに穴を開けてはめ込んだそうです。外周が自動車のホイールの様に凹んでいます。その周囲にゴムタイヤの様に耳たぶを回したのでしょう。これらは3〜4センチくらいの大きさですが、『直径1cm、重さも1gほどのものから、直径10cm、重さ100gほどもあるおおきなものまでさまざま(リンク)』あるそうです。
検索してみると、”耳にぶら下げた耳飾”という説もあるようです。
また左下のは、そのデザインが(たまたま検索でヒットした)籠峰遺跡のと良く似ています。当時の他地域との交流がうかがえます。
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