▽ 館内は撮影禁止なので写真はありません…。
小さな町の資料館ということで、はっきり言ってあまり期待はしていませんでした。しかし、展示内容は前日に行った埼玉県立歴史資料館を遥かに凌いでいます。
また、ここで先日来疑問に思っていたことの一つが解決しました。それは、「古墳は豪族だけのものだったのだろうか。」 と言うこと。 館内に、こんな説明がありました。
『群集する古墳
古墳時代の後半、農業生産力の向上によって、これまで特定の支配者の墓であった古墳の築造が農民層にも広がり、小さな古墳が密集して造られるようになりました。これらは群集墳と呼ばれ、毛呂山町北部の越辺川をのぞむ台地にも100基ほどの古墳が分布しています。古墳は、下流から大類古墳群、川角古墳群、西戸古墳群の三つの群に分かれます。』
古墳が”農民層にも広がった”と言う記載は、今までどこの説明看板でも本でも目にしませんでした。このことを即、吉見百穴や黒岩横穴群に結び付けていいものかどうか、ということはありますが、少なくともその可能性を考えても良さそうです。
それにしても更に謎なのは、”このことを考古学では意識的に隠している”ように思えるところです。単に僕の知識がまだ足りないだけかもしれませんが…。
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