入ってすぐに、全体の見取り図と偕楽園の説明があります。
『偕楽園は、水戸第九代藩主徳川斉昭(烈公:1800〜1860)が自ら造園計画の構想をねり創設したもので、特に好文亭については烈公が自らその位置や建築意匠を定めたと言われています。
天保十二年(1841)から造園工事を行い、翌十三年に本園、桜山および丸山が開園されました。
本年には、梅を中心に孟宗竹、霧島つつじ、宮城野萩などが、飛び地になっている桜山と丸山には桜が植えられ、周囲の湖水と田園風景を取り入れ自然との調和を図り、四季の風情や明暗に富んだ趣のある作りで、名公園として名高く日本三公園の一つに数えられています。
偕楽園の名称は、中国の古典である「孟子」の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」と言う一節から取ったものです。
春には百種三千本の梅の花が咲き誇り、全国でも有数の梅の名所として知られています。』
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